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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

フェイスブックのコメント 5

吉馴 悠 私も若かったころ今とは考えが違うところにいまして、澤地久枝のアジアの女性などを読みそれを信じた時期もあり、今ではそれらが物書き作家のような感じを持ちます。曽野綾子はあまり好きではないが変節をしないところが立派であると思います。今、何を勘違いしているのか森村誠一が寝言のごとき遺言を語り始めている、ならば、石井部隊の細菌兵器による人体実験という虚偽を書き、そのことで中国から攻撃を受けている現実をどのように解決をするのか、森村からは反省も訂正もない、そのことを検証し謝罪をして初めて過去を改め今の自分を語らなくては人間とは言い難い。それがこれから作家になろうとする人たちにたいしての忠告でなくてはならない。見るがいい、太宰にしても芥川にしても三島にしても己に忠実であったがために自らの命を閉じている。責任というのは自分に忠実でなくてはとることができないものだ。まさに問われるのは自己にいかに忠実に生きる覚悟があるのかでしょう。その覚悟、今まで生きたことにたいしての責任を感じて今を行動することが人としての最低の意識なのだと思う。
いいね! • 返信 • 4 • 8月30日 20:11
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吉馴 悠 物書きが書いたものがすべて真実とは言わないがそれを信じる人がいる。信じるのはあなたが悪いという屁理屈は物書きにあってはならない。嘘八百中にも人間の本性が書かれ社会のひずみのなかでどのようにいきたか、平和、幸せはどのようなことなのかをそれとなく提言するのが物書きの使命であろう。そのことに心を馳せ書きこむことが物書きとしての姿勢でなくてはならない。活字という武器を使って恐怖を与え洗脳するということも起きる事に気づかなくてはならない。物書きが自分を錯覚し言葉を吐く、それは物書きではなく役者のあり方である。読者は物書きが文低に隠している真実理想を十全に読み取る人たちばかりではないことも知り、万一そのことで誤解を招くことがあれば潔く訂正しその誤解を正さなくてはならない。物書きとその読者の乖離は、物書きの嘘を信じ文低に隠している作者の必然を読みとることが出来ないことだろう。物書きも行間を読んでもらう技術も努力もなくしている。まして読者にその喜びを提供していない。今の社会においても表層的な次元を取り上げて批判するマスゴミを信じてしまう幼い理解力しか持たない。物書きの劣化は読者の劣化を生んでいる。ドストエフスキーの「罪と罰」を引き合いにして殺人者が自伝的な告白を書いたというが、この人もその作品を真に理解しているとは言い難い。はたして今、物書きは古今東西の名著に親しみ己の心を鍛えているようには思えない。それが読者に伝播しているのだ。それは不幸なことである。一昔前は作者とその評論家が蝶々はっしとやりあったものだがそれがなくなって文学は停滞し、前途が閉ざされようとしている。芥川賞の意義は、社会、人間の新しい側面を表現することであったが、今はどうか。私たちは、考える力を取り戻さなくてはならない。なぜという疑問を呈しての思いを感じる至福を取り戻さなくてはならないのではないのか…。物書きを作家と言う呼び名を変えても、文章を書く職人であることを自覚する必要があると思うのだが…。
いいね! • 返信 • 1 • 33分前 • 編集済み
小説家は妄想を書き連ねることを商いとしている。それが悲惨な現実をもたらすことを忘れてはならない。また、それが国民に不幸をもたらす時には潔く訂正し詫びなくてはならない。物書きとしての最低の義務である、が、それすら持ち合わせていない人が創作に関わっているその妄想に読者は気づくべきである。物書きに反省の気概がない、大江健三郎にしても「沖縄ノート」で軍の自決の命令があったと書き、その偽装のねつ造にたいしての訂正も反省もないのがそれを表している。今、あらゆる中韓の反日の材料はそのような日本人によって巻き起こされているのが現状である。なかには背乗りをした外国人が多く目的を持ってやったものがたくさんあることを国民は自戒の意味を込めて認識しなくてはならない。アメリカの日本にたいする接し方は、インデアンを殺害し国家を作った、ハワイを、フィリッピンをという植民地政策の延長が行われているといえよう。これはリンカーンの奴隷解放の欺瞞よりこのかた書かれた白人至上主義による黄色人種にたいする奪略と偏見という膨大なシナリオのなかに書かれているものであるという認識を持つ。アメリカのあり方はそのシナリオを忠実に演じきるという運命からは逃れることができなものなのだろう。これからの日本はそれに対抗しうるシナリオを書き、将来を展望しなくてはならない。

なんだか9条を唱える人たちの思いかなと思ってしまいます。私から言わせてもらえばそれは敗者の理論です。生きるということは勝ち負けではない。が、その考えが子供たちの競争においてみんな1等と言う個性を殺していまいか。ある意味諦観主義から運が積まれるとは思われない。夢のなかを生き夢ばかり見ているのか、あくまで性善説の生き方でしかない。はたしてそれで人は成長するだろうか、マルクスは平等を説いたが、個人の力量に差があることに気がつかなかった。私がマルクスから学んだのは喜劇のあり方、価値観の違いが笑いをもたらすということだけであった。その差をうずめるために負けるが勝ちというのは萩本欽一氏があの熾烈な芸能界を勝ち抜いてきたゆえのはにかみの言葉ではないのか。これは非凡な人たちには相いれない言葉だろう。真剣に戦い敗れることにより反省と後悔とこれからの生き方を思うことによりそれを超えて人として成長する。99の努力と1の運が成功した人の定義である。書かれていることはある意味で理解は深められるが、何事も話し合いで解決ができると言う無知蒙昧のざれごとと、人生を楽しく生きておられる言葉の遊びにも思える…。


今日の赤旗日曜版で脚本家の小山内美江子が「平和を売りとばすな」と言っている。彼女は30日のデモに車いすで参加したらしい。軍国少女だった彼女が平和のために叫んでいる、ということらしい。この人は戦後の下山事件に関係していた国鉄総裁の下山の身内である。下山は暗殺されている。その不幸を背負って勉強をし脚本家として大成した。悲惨さも知るが、無手勝流でいいということによって引き起こされる現実も見てきている。それなのになぜという疑問がわいてくる。どこの世界に戦争を望む者がいようか、今の日本の現状からして、何をやっても日本はどうすることも出来ないからとしたい放題なのである。そのことも彼女の認識のなかになければならない。物書きの責任を自覚し世界情勢を鑑みての行動をしなくてはならない。そのことが欠けている。この人も大きな錯覚をし、晩節によって過去の業績を穢したといえる。「金八先生」の作者がという感が、残念なことだ。日本が真の独立をなしていると考えているのだろうか、日本はアメリカの属国として平和を享受してきた。日本がここで初めて独立の気概を見せていることがなぜ読めないのか、この人の時代は終焉し幕をひいている。寂聴も坂本龍一も市原悦子もその例にもれない。

岡野さん、御苦労さまでした。日本の文化は最早潰えています。新しいものは出てきません。特に文学の様は無残としか言えない。全国に何百と言う賞があっても国民をリードする作品はありません。岡野さんのように歴史から新しい発見をしてそれを必然として書かれる姿勢は見事としか言えません。世の物書きは見習うべきです。世界の、日本の、その歴史を俯瞰して今がある、その素地を見つめて未来を思う、そこに社会の、人間の、そして、生物としての命を尊び考えなくてはこれからの人間の姿は見えてきません。書く者と言うのは其の新しい発見がなくてはそれを必然として書かれないものです。今回も芥川、直木賞が決まりましたが、金儲けの手先になり下がっている受賞者たちの今後の姿が見えるようでする。遊び人になって今まで見えなかったものが見えるようになりつつあります。物書きの狂気、執念、そんなものがいらなくなっている昨今、どうなるのかと言う不安は日々に募っています。ありがとうございました。

この国は中国の属国から、日本による独立、そして日本併合と歴史を歩んでいますが、その間の自己保身の陰謀策略は筆舌に尽くしがたいことです。今の在日の人達は昔と少しも変わっていないように思われます。強いところには猫なで声ですり寄り、弱いものは見下しあらん限りの蛮行と虐殺、を繰り返し、多勢を持ってそれを行ってきました。日本においてのあり方はむしろキーセン的なもののように思われます。あの当時、キーセンがどれほどの支配力を持っていたのかをみな語りませんが、傾城の女、実権はかなりの物であったと私は思っています。両班をしのいでいた、もしくは手駒にしていたと思えるのです。今、日本は御しやすしと言う見かたでしょう。まず報道機関を握る、国民に誤った情報を与えてコントロールする、また、反対意見の人達に金を出して暴動を起こさせる、その間、着々と政府機関に侵入して内部から崩壊させる。日本はその危機の真っただ中、日本人の一人一人が日本人である誇りと矜持を持ちそれに立ち向かわなくては乗っ取られます。2030年頃には大きな展開が起こると思っています。それは、ロボットによる人間排除のあたりでしょう。今、タクシーの運転手は在日の人が殆ど、その人達はロボットに職を取られて、さて、そこで何かが起こる気配を感じております。これは物書きの妄想であってほしいと思っていますが…。今ならまだ間に合う、今なら…。

岡野さん、御苦労さまでした。日本の文化は最早潰えています。新しいものは出てきません。特に文学の様は無残としか言えない。全国に何百と言う賞があっても国民をリードする作品はありません。岡野さんのように歴史から新しい発見をしてそれを必然として書かれる姿勢は見事としか言えません。世の物書きは見習うべきです。世界の、日本の、その歴史を俯瞰して今がある、その素地を見つめて未来を思う、そこに社会の、人間の、そして、生物としての命を尊び考えなくてはこれからの人間の姿は見えてきません。書く者と言うのは其の新しい発見がなくてはそれを必然として書かれないものです。今回も芥川、直木賞が決まりましたが、金儲けの手先になり下がっている受賞者たちの今後の姿が見えるようです。遊び人になって今まで見えなかったものが見えるようになりつつあります。物書きの狂気、執念、そんなものがいらなくなっている昨今、どうなるのかと言う不安は日々に募っています。ありがとうございました。


なにを、言っているのか分からない。そもそも中国と言う国ほど曖昧国はない。国取り合戦は続き、今、盗賊の集団の棟梁の毛沢東が作った国が、過去の事を引き出してもの申しても、それを言い出したら国と言う存在がなかったところまで行きつくことになる。歴史を紐解いて見ても、今の中共は白人至上主義の頃行った植民地政策の侵略をまねているだけ。アメリカ、ヨーロッパがなにも言えないのは、其の植民地政策に対しての反省も謝罪もなく横暴に終わらせ、其の対価を使い果たして国が疲弊に瀕しているからだ。日本は、ここではっきりと国際法に乗って侵略行為に対しては毅然と応戦する、それが無謀な行為に対しての措置である。自衛隊は国を守るが国民を守っていない。それは横田恵さんの例を出すまでもない。自衛隊は、NHKや朝日、左の人達に何も遠慮することはない。税金を払っている国民の命を第一義として行動する、先日の北朝鮮のミサイル、中国の尖閣への領土侵略に対してははっきりと自衛のために戦うという気構えがなくてはならない。被害者がいないからという言葉遊びで済むというものではない、これは国家存亡の時としてとらえなくては日本国は国際的になめられた国になり下がる。書き変えなくてはならないのは憲法ではなく、自衛隊法のなかにまず国民の命を守ると言う言葉を入れることから始めなくてはならない。国民の命、それは何処の国の憲法にも最初に書かれていることである。朝日のこの記者がなにを血迷ったかまるで芸人の考えにも劣る事を言っているが、これを信じて読む読者をあわれとしか思えない。

渡邉さん、もう呆れてものが言えない。少し体調が戻ったので、これすら思う事を書かしてもらうことにした。朝日の暴挙は国民を無視し続けているという事の他に、朝日新聞の役員だけの病院も作られている。国民はどうなっても構わないが自分の命だけは守ると言うこの考えはまさにナチのものだ。障害者の殺傷事件も在日の本名を書いていない、朝日も攻めなくてはならないが、NHKの在り方も国民は目をそらしてはいけない、先にも書いたが、なぜ今坂口安吾の(堕落論)なのか、少し観て呆れて辞めた、坂口のこの堕落論だけで彼が書いている物の本質をとらえてはいなかった。無頼派を名乗っていても人間の本質を問い、人間は堕落する方が生きやすいが、と言う揶揄を書きながら、人間には常に狂気を持つ、ただしいことに対しても其の狂気をもって戦うと言う姿勢が全く語られていなかった。文化、哲学にしても彼が憂いていたとおりの現代を予見している。彼は人間の姿を露呈することで人間の回復を願っていた。其の事は、そのほかの彼の本を読むと理解できるものだ。「堕落論」だけを取って其の本質を理解することはできない。「満開の桜の木の下で」にあるように人間の本性を狂気ととらえる彼の思考を私は限りなく理解している。これは、日本の現状を曖昧にしさらなる劣化を洗脳するものとして受け止めなくてはなにらない。


戦勝国のアメリカのヒステリーで東京リンチが行われた。この国はインデアンを全滅した時の精神と変わりない。不平等な書類を交換しそれに文句を言ったら殺す、ハワイ、フィリッピン、日本、ベトナム、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、すべて事件をねつ造し先制攻撃をしておいてそれに反撃したら宣戦布告がないといいはり戦争に持ち込む、これはアメリカが歴史上に戦争をするときのシナリオ。民間人を殺害してはならないと言う事を無視し、日本では東京大空襲で10数万人を虐殺、広島、長崎では人類に対しての実験として2種類の原爆を投下して虐殺、その後日本人に救助、治療をさせずにアメリカ関係者が克明に調査している。これも国際法と言うものが真の役割りを果たしているのなら違反である。いいたい、東京裁判で裁かれた人達はABCと言われる戦犯はいない。むしろアメリカ、連合軍の方が戦犯に問われるべきである。戦勝国が敗戦国を裁いてはならないと言う事を知らぬ人達か多いことに今更驚いている。

私も演劇界、映画部門にいましたか、家人が観ているテレビを時に覗くことがありますが、時代考証、衣装考証の杜撰さには驚かされます。そんな時、美穂さんの様な方が必要だと感じるのです。まず、書くことを続けてください。それがすぐに陽の目を観るものではないかも知れませんが、心の財産として遺しておいてほしいものです。日本の記憶として書いていてほしいものです。言われるように今の出版社は金儲けしか考えていません。特に幻冬舎などは最たるものです。メルマガを立ち上げてそこに載せることもあるとは思いますが、皆さんにぜひ美穂さんの心を受け取ってほしいという事は感じます。いずれ、物書きはいなくなる、今、ロボットが小説を書く実験をしています。作家と言う職業はいずれなくなることでしょう。が、美穂さんの様な方、積み重ねた知恵、其の見方、考え方、そして、表現は真似が出来るものではありません。其の日のためにご自愛ください

陛下は韓国をご訪問される事はないと考えます。何を以てご訪問をと言われるのか、この人の思いがわかりません。併合当時、戦中、戦後の朝鮮人が行った事を考えればご訪問の意味はなきかと。朝鮮の地で孤児を我が子のように育て学校に行かせ大学まで卒業させた人達に、日本が敗れた時に其の子供達により一家は虐殺されている、其の恩を感じることのない民族に天皇は何を話すのか。慰安婦の問題も安倍総理が粛々と解決をしている現今に何も語る事はないかと。パラオ、台湾とはわけが違う事を、私は反対です。天皇がご訪問されても韓国との現状は解決するとは思われません。むしろ、思い上がりを、付け上がりを増すのみかと…。

なにを、言っているのか分からない。そもそも中国と言う国ほど曖昧国はない。国取り合戦は続き、今、盗賊の集団の棟梁の毛沢東が作った国が、過去の事を引き出してもの申しても、それを言い出したら国と言う存在がなかったところまで行きつくことになる。歴史を紐解いて見ても、今の中共は白人至上主義の頃行った植民地政策の侵略をまねているだけ。アメリカ、ヨーロッパがなにも言えないのは、其の植民地政策に対しての反省も謝罪もなく横暴に終わらせ、其の対価を使い果たして国が疲弊に瀕しているからだ。日本は、ここではっきりと国際法に乗って侵略行為に対しては毅然と応戦する、それが無謀な行為に対しての措置である。自衛隊は国を守るが国民を守っていない。それは横田恵さんの例を出すまでもない。自衛隊は、NHKや朝日、左の人達に何も遠慮することはない。税金を払っている国民の命を第一義として行動する、先日の北朝鮮のミサイル、中国の尖閣への領土侵略に対してははっきりと自衛のために戦うという気構えがなくてはならない。被害者がいないからという言葉遊びで済むというものではない、これは国家存亡の時としてとらえなくては日本国は国際的になめられた国になり下がる。書き変えなくてはならないのは憲法ではなく、自衛隊法のなかにまず国民の命を守ると言う言葉を入れることから始めなくてはならない。国民の命、それは何処の国の憲法にも最初に書かれていることである。朝日のこの記者がなにを血迷ったかまるで芸人の考えにも劣る事を言っているが、これを信じて読む読者をあわれとしか思えない。

渡邉さん、キリストを信じる人達は鯨を殺してもいいが食べたらいけないと言う事が聖書に書かれていると言う。それを食文化の違う他の宗教を信じる人達にも要求する。世界の歴史にはそんな話が横溢している。その横柄さは白人を気取っている中国の蛮行をほしいままにしている。いつかきた道、中国も破滅の坂を下る事でしょうが、国連とは戦勝國連合と書いてあるのに日本はそう言っている、それらの傲慢をほしいままにしていたら、やがてそのほかの国々に類が及ぶ事は当然で第三次の火ぶたが切って落とされることでしょう。アメリカは絶対に参戦しません。日本民族を一人残らず殺せ、ルーズベルトの言葉は日本を太らせてから搾取して殺せと言う意味に変わっている。先の中国との戦いを応援していたのはアメリカ、ドイツでした。が、co2をほしいままに吐き出して中国は急速に発展を遂げてきた、日本だけは京都議定書を忠実に守り地球温暖化のために削減して産業、国民の所得、消費は少なくなり景気の恢復はなく後退している。領海侵犯は侵略という定義を日本は実行に移さなくては、それには自衛力を増強しそれに対処しなくてはならない。魚の捕獲量も絶滅を危惧して話し合いが出来ているはずである。戦勝国連合は国際法など全く関係なく自国の我儘の横車をひく。国連、戦勝国連合を、現代にあったものに変えて新しい監督管理平和の推進をすすめなくては、秩序なき力の支配が横行するであろう。憂うべき時が続いている。日本の大東亜の精神が正しい事を証明するためにもう一度立ち上がらなくては何らない。なんとも中国、韓国には福沢翁の「脱亜論」を再度読み直して当たらなくてはならない時期でもある。最近は呆れてものが言えなかったが、年寄りの冷や水を書くことにしたいと思っている。

書き込みを読んでうれしくなりました。子供たちは親に教師にしかられて注目して欲しいと言う思いがあります。私は、そんな子供でした。勉強はしませんでした。が、みんなより好奇心は旺盛でした。常に何かに挑戦していました。「幼稚園の砂場で人生に必要なことのすべての知識を学んだ」ドイツのフレーベルが世界で最初の幼児教育の必要を感じて八角園舎の幼稚園を作りました。今、その彼が提唱した原点に返ってほしい。まず、幼い子たちの心に明りを灯す事を考えてほしい、その明りは大きくなる過程でどんどんと広がり人としての素養をはぐくんでいきます。学校に行かなくても学ぶという生き方を知ります。その広がりが国民の民度を高め、考えることの大切さをもっのだと思います。私は作品のなかで書きました。子供たちの最高の教育環境は教師自身である。教師が子供たちに教えるのではなく共に学ぶその姿勢をもって欲しい、そこから無限の可能性が生まれると思っています。つきなる社会の主役である子供たちに私たちは何を伝えるのか、その事が今大切であると思っています。私はたくさんの子供たちの演劇を書いて芸文館大ホールで公演して来ました、その子どたちの瞳は輝き、夢と希望に満ち溢れていました。その子供たちは私に最高の思い出をくれました。決して恵まれた家庭の子供たちではなく、母子家庭の子、いじめられっ子、登校拒否の子、閉じこもりの子、勉強があまり得意でない子、たち50人と共に学びながらその子たちの台詞に悩みを説く鍵の台詞を書きいれていました。皆大きく育ってくれました。10年間、子供は入れからりましたが、皆を卒業させ、私は書くことも演出も終えすべてを捨てました。子どたちの公演したものは総てケーブルテレビで放映されています、今、そのテープを時に見てその当時の思いにふけり、夜を明かすこともしばしばです。これは私の大切な財産として心に保存しています。そんなこともあり、今の現状に対してはどうなのかと言う定義付けも考えています。捨てましたが、もう一度振り返らなくてはならないのかも知れません・・・。

素晴らしいです。文化庁が吉馴さんの作品、公演記録を保存してくれる。吉馴さんの積年の活動が世間の人々の心を動かし、文化庁も動かした、ということです。池波正太郎氏は私が一番大好きな作家です。鬼平犯科帳、剣客商売、藤枝倍安。素晴らしい作品で毎週CS時代劇チャンネルで録画しています。鬼平犯科帳は単なる勧善懲悪でなく、鬼平と密偵達との関係は言葉に出さなくともお互いに通じ合えるる優しさ、悲しさ、厳しさが見る者の心に響きます。日本を再生させるためにはやはり教育です。何故苛めが無くならないのか?子供たちが苛めの苦痛に耐えかねて自殺する報道があるたびに暗然とします。先日フジテレビのバイキングでしたか、熱血教師の野々村 直通氏が教育、苛め、体罰について持論を述べていましたが、全く正論です。若い女性達が体罰は暴力で絶対にダメ、という意見に対して、『言葉で言って分からない者には何を言っても無駄、身体で分からせるしかない。100人の内99人は言葉で言って分かるが、どうしても分からない者には体罰は必要で、これは暴力ではない、本人のためにも必要なのです。彼らが大人になったときに、先生にあの時殴られて良かったと殆どの子供たちが言ってくれます。苛めなどは絶対にやってはいけない卑怯者のすること。もし苛めの現場を見つけたら問答無用ボコボコにします。』野々村氏の様な熱血教師は本当に少なくなってきました。教育現場はモンスターペアレントによってズタズタになっています。親がモラルが無い為、子供もまともに育ちません。教育現場から苛めを無くすためには会津藩の日新館の教育制度が参考になります。日新館の教育制度を導入すれば苛めの殆どは根絶できると思っております。『強い者は弱い者をいたわらねばならない』『弱い者を苛めるのは卑怯者のすることであり人間として絶対にやってはならない』この考え方が教育の原点というか、人間としての原点ではないでしょうか。

何と美談が好きな国民であることか、美談はつまり嘘である。ここに石川さんが書かれているが、真実ただの外交官、領事代理が本国の命令を無視してとなると日本には帰られないと言う事でしょう。私はこの件は本国の理解があったとしていました。東条英樹を悪者にする杉原の美談にしかすぎません。当時イギリス大使だった吉田茂は戦争終結のために積極的に動き政府に対しても何度も何度も書面で訴えています。だが、政府も国民の声には逆らえなかった、朝日により洗脳されていた国民は大本営発表と言う虚偽の朝日の報道を信じ愚かにも提灯行列をしている。さかのぼる事、明治維新の立役者と言われた竜馬の本性は、暗殺された後のその妻、おりょうの生き方から推察される。つまり、明治政府はその立役者の竜馬の妻のおりょうを厚くもてなすこともせず、放置している点で竜馬の存在が明らかになっている。女好きの伊藤博文ですら救いの手を差し伸べた形跡はない。横浜の商人の妾となりその妻になるが、本来なら政府としても熱くもてなさなくてはならなかったはずである。私はここに竜馬の影を見たのです。この国の不幸は戦後の公職追放と言う第一線の優秀な人達を野に下し、愚かな人達による政治と教育がなされたことでしょう。少し話が外れましたが、東京リンチの東条英樹のために創られた杉原千畝の美談と私は受け止めています。大東亜会議の精神を打ち砕くために…。

渡邉さん、日本は国家の態をなしていない。法事国家といえどもその法律は何時の場合でも曖昧糢糊です。北朝鮮が領海にミサイルを撃ち込んでも領海侵犯を問わない。無論中共の侵犯も言葉だけの遺憾表明、これでは国土は、国民の生命と財産は守れない。また、それを恐怖と思わないこの国の民族は真実を見ようとしない腑抜けたちであろう。この国は何時から精神病棟のなかの患者になったのか、大和の心も武士道も、日本人としての矜持も何もかも持たない生きる屍になったのか。歴史を見ても死生観なき覚悟のなさが国を獲られ滅ぼされている。生ぬるい湯に浸かりひと時の享楽に身を置くことを幸せと勘違いをしている国民は、この国を滅ぼす元凶である。国は、政府は国民は危機感を持って断固たる覚悟を示し決断しなくてはならない。・・・渡邉さん、私は書くのも馬鹿らしいほどの倦怠感を持ってしまっています。駄文、御容赦を…。

中共か韓国の記事かと思っていたら、何と東京都の問題だった。もう何回も東京都民の民度について書き込んだが、かって、美濃部知事によってめちゃくちゃにされた記憶を持っている人も少なくなったている、が、都の議員、区長、区の議員のレベルは、ただの税金泥棒いがいの何者でもない。都や区の住宅に生活保護の申請に同行し圧力をかけ、その人達を住まわせることが仕事と思っている議員たちは即刻辞職させなくてはならなぃ。この移転の問題にしても、今の都内の総ての土地は何らかの汚染がある事は明らかなこと、それにつけ込んで口ききをして寄付を集める議員、ただ儲けしか見ない業者、当然の成り行きでしょう。東京五輪も今どれほどの進捗状況ん分からないが、蜜に集るありのように我も我もと金が欲しいと群がっている事は明らか。さて、何回でも言いたい、都民は何をしているのか、スカイツリーに見とれているのか、議員たちがなにをしているのかを監視しなかった責任はある。また、都の地下で今何が起こっているのかも知らなくてはならない。80-100日の議会しか開かれずにそのほかの250日は一体何をしているのか、議員と役者とルンペンは3日やったら辞められないということわざがある通り、気楽な稼業なのです。偏に都民のだらしなさを感じる。文春に頼らずに都民が情報を集め語り合う場所を作り、都民が都民の東京を作らなくてはならない事は言うまでもない。地方から、都民の皆さんの正義ある行動を、監視を、新しい東京都を作られる事を願っています。今までの民主主義の弊害が明らかになっています、政党政治の限界、今、国民が、都民が人間の住む町を作らなくては押しつぶされる事は間違いない。私が最近書いたものには、人間の進歩、進化はここらで止めなくては人類、地球上の生物は絶滅をすると書きました。マルクスの「資本論」にも大きな誤りがあり、民主主義も今の、これからの世界の教科書でなくなるでしょう、それには個人の考えの熟成しかありません…。自然との共生ではなく一体と言う原点に返り、人間は動物である事を自覚して出直さなくては、一度立ち止まって考えることしか残されていないように思いますが…。

まず都民はそのチェックを欠かしてはならない。小池さんがどれほどの事が出来るのは都民のみなさんが支援するしかないのです。都民に政治の勉強の場を作ると言っていますが、それがなかったことが不思議です。私は、市長、県知事らに県、市民の声が届くような目安箱を作れと言ってきています。取り巻きの人達のイエスマンばかりでは、県市民の生活は見えません。私も友が青年たちに呼びかけて青年の議会を年に何回かも開かせ声を届かせたこともありました。都民議会の開催を開いてもいいのではありませんか。小池さんに要望してみてください。都民の生の声をぜひ小池さんに届けてほしい。国は国民が作り、町は市民が作る、そうあってほしい。議員はその手伝いをする事だけと言う事で…。

ねずさんの書かれている事は全くその通りです。この作品には原作があるのだろうが、脚色をしている西田某なる人は全く物語の上で欠かせない、経済的な事を一切書いていない。何をして食べていたのか、戦中において女学校へ行くほどの家庭としてはその背景が書かれていない。また、時代考証も、衣装考証も何と言うずさんなことか。戦後出版する時にはGHQの検閲があったはずである。がそれも書かれていない。それに資源不足なのに紙が無尽蔵にあったというような使われようである。戦後の太宰治の小説本なんかざらばん紙であった。白い紙などなかった時代なのだ。それにしても三姉妹が女学校出とはよほどの財産がなくては大変なことである。この作者は戦中戦後を書くことをNKHに止められたのか、調べていないのか、また、ディレクター、プロデューサーが故意にそのように演出したのか、前作の「あさがきた」にも杜撰なところが多くあったが、三井財閥、五代財閥の事は一切触れなかった。私は家人が見ているのを書きものをしながらちょこちょこと見ただけでもその疑惑はあった。この作品も時代考証、衣装考証など関係なく勧められていた。話は戻すが、はっきりと言って紙が潤沢にあったのは刑務所印刷部くらいではなかったろうか。私はこの頃に幼少時代を生きていたので、東京オリンピックの6年前にアイロンも、電気釜、洗濯機も冷蔵庫も一部の金持ちしか買えなかった、「暮らしの手帳」が全く出鱈目である事は証言できる。これを日本中の人が見ていることに恐怖を感じている。これでは、韓国のファンタジーに文句は言えまい。付け加えれば、前作も今作も何と華のない役者が多いことか、視聴者の目はそれすら分からぬほどの思考停止をし、分別もなく、劣化しているのかと嘆きたい。それは主役の女優さんがだんだんと色あせている、本来ならば終わりに近づくに従いより華を開かなくてはならないのだが、本人が、演出が人間としての勉強をしていないゆえであろう…。

広瀬さん、マスコミをここまでのさばらせているのは国民の責任です。考えようとしない国民の怠惰な姿勢なのです。全く緊張感がない、学習能力もない、危機感なんかとっくに捨てている、だからマスコミの虚偽を信じて洗脳されるのです。この民族は何をしていたのか生きていただけ、死に水は政府が取ってくれるという安直な考えで生きていただけ。ケネディーの「政府になにをしてもらうかでなく、政府になにをしなくてはならないかを考えてほしい」この考えがまるでない。堕落ならまだ救える、が、こうも能天気な人達は救いようがない。坂口安吾の「堕落論」を作者の意図がわかるまで読み砕いた見てほしい。また、安吾が書いた多くの作品を読んでから「堕落論」を読みなおしてほしい。そこには安吾の答えがあるはずです。堕落ではなく、つまるところ定見のなさなのです。堕落するには確固とした哲学がいるのてす。マスコミを野放しにしているのはこの国の国民です。それは偏に国民の民度が低下したという事です。

広瀬さん、日本は今だに負の遺産を抱え歴史の上で振り回されている。当時白人たちは白人以外人間と認めていなかった。それは、ルーズベルトの日本民族の皆殺し、トールマンの原爆の人体実験に使われていることでしょう証明されいている。明治維新がイギリスのクーデターによって樹立し、そのあとの日清日露は代理戦争であった。アメリカにとっては日本は目の上のたんこぶであった。世界に大東亜会議の精神を広められたら植民地政策をとる国は危機にひんする。アメリカは国際法など眼目に置かずに、東京の外郭地帯を空爆し避難民を中心に集めて焼夷弾で焼き払った。スターリン、毛沢東、ヒトラーの比ではない虐殺を行っている。東京大空襲、広島、長崎の原爆投下、この虐殺は今まで例を見ないものである。それを隠そうとして南京事件、石井部隊などをねつ造したのだ。私は広島の日に吉永小百合が朗読を続けているが、碑文に主語のない、つまり誰がの言葉を背負うのかが分からない。この朗読自体原爆投下を認めていることになる。若い頃男に狂っていて今はの贖罪のためにやっているとしたら、大きな勘違いがある。ニューヨークで語るべきものなのだ。私は広島より東京大量殺人を世界にアメリカに問うべきであると思っています。

校内は喫煙となっている以上守る、これは当たり前でしょう。愛煙家から言わせていただきますと、世間は住みにくくなりました。趣味嗜好にまで文句をつける、愛煙家は節度を保って喫煙すべきであることにはなにも言う事はない。が、反対と叫ぶ人がジェツト機に乗りそのジェツト機からどれほどの排気ガスが出ているのか知らない。自動車を乗り回してその排気ガスを近隣の住民がすっている事を言わない。焼き鳥やの煙、焼き肉屋の煙についてはなにも言わない。酒による病気の原因には触れない。私は公害、100メートル先の家か見えないところに50年間も住んでいます。公害は目に見えるものより見えない物の方が怖いのです。わたしは何を言われても動じない信念を持っているが、肩身の狭い想いをしてすっている人がなんと多いことか。よってたかって攻めたて犯罪者のように糾弾する。その人達は酔っ払い人に迷惑をかけているかも知りない、ジェット機の排ガスをまき散らかしているものに乗って人に被害を与えているかも知れない、自動車を乗り回して道路辺りに住む人に排気ガスを吸わしているかも知れない、そんなことは彼らには一切関係ないらしい。これは今、子供達の遊ぶ声がやかましいと公園での使用を禁止する、学校での野球の練習も声を上げないでしろと言う事と同じ理論なのではないか。私が公害闘争をしていた時には、自動車に乗るのも辞め、中性洗剤は辞め無公害の粉せっけんに変え、シャンプーは酢に変え、歯磨きは塩を使い、自然を汚すものはすべてシャットアウトして戦いました。喘息で年寄りや子供たちが毎日のようになくなっていたのです。その時今煙草の反対を叫ぶ人達はなにもしていなかった。多勢に無勢で喫煙家を攻撃する、はっきりとしたデーターもないのにです。日本ではどんどん喫煙者が少なくなっています。特に女性の肺がん患者が急増している、女性の場合は喫煙者は昔と変わっていませんが急増しています。其の責任をすべて喫煙者にかぶせるのは納得がいきません。私も煙草については色々と取材をしました。花粉症は杉やヒノキま花粉ではなく車の排気ガスであることを突き止めました。杉やヒノキの産地では患者が少ないのです。また、喘息は交差点周辺の人達たちが発症しています。無論癌も多いいと言う結果が出ています。マスコミに振り回されないで自らが歩いて取材をして反対と叫んで欲しい。無論、ジェット機にも車にも乗らず焼き鳥焼き肉など食べずに胸を張って撲滅に立ちあがってほしいのです。どうして、日本国が煙草の製造販売を許しているのか、まず政府に対してその抗議をしなくてはならない。そんなに死ぬるのが厭なら、ガンと血圧、体温、コレステロールに今の数値に疑問を感じないのでしょう。毎日5000の癌の芽が体のなかに生まれているのです。それを抑えて殺しているのが、体温であり、血圧であり、コレステロールなのです。一部を見て全体を見ないでいただきたい。また、マスコミの報道に振り回される事は朝日新聞によって虚偽の報道を信じることと同じあると言う認識を持たなくてはならないのではないでしょうか。私は煙草の害よりストレスの方が怖いと言う事で吸っています。反対を叫ぶ人たちより私は歩いて調査しています。この書き込みを読まれて不快に思い、またなにも感じない人は私をブロックしてください。人権を叫び人権を無視する人達とは関わりたくありませんから…。

これは慶應だけの問題ではなく、また朝鮮男子の問題ではなく、広く人間の本能の後退を進化と錯覚しているものと思います。大正デモクラシーで性の解放こそが女性の自立かのように叫んだ当時の社会活動家たちがいました。その人達は性を握っていたのは女性なのだと考える能力がなかった人達です。性の意義を全く知らずに性解放を叫んだ、それがインテリーの証しのように誤解したという事です。人間が単性として誕生し幾多の絶滅を経験し両性に変わってオスとメスが誕生する。メスが賢くて優性遺伝子を繋げて来たから今の人間はあるのです。メスは強くて逞しく頭いいオスとしか交尾しませんでした。主導権はメスが握っていた。オスは常に選ばれる側にいて、お尻の大きいこころ美人をに求婚していたのです。人間の本能は優れた遺伝子を繋げいく行くという大切な行為が交尾であったのです。だが、今はどうでしょう、イケメンとかわけのわからぬオスにうつつを抜かしていい寄る事は、メスの本能の後退を意味しているのです。メスが優性の遺伝子を持たぬオスを選んでいる、それだけ本能は希薄になっているのです。外身と巧みな言葉に危険と感じる本能がまるでなくなっているのです。人間以外の動物の社会ではレイプなど起こっていません。メスが選び、選ばれなかったオスは孤独に死んでいきます。それが自然の摂理なのです。もう人間社会にはその摂理もなく堕落しきっています。私はこの前書いた作品には進歩進化を止めなくては人間は絶滅すると訴えました。もう、人間のメスもオスも本能をなくし刹那的な行動が目立っています。この事件の概要は知りませんが、オスがメスに対して近寄る時にメスはこのオスたちはどうなのかという判断が出来ていない、本能の喪失なのです。今、日本には優性の遺伝子がだんだん少なくなっている現状があります。やがて日本民族は滅びることでしょう。メスの本能の喪失が拍車をかけることでしょう。この慶應の事件はその発端として受け止めることです。メスの社会参画は女性の解放ではなく糜爛を齎すことでしょう。ただただその快楽を追い求めるメスとオスたちには爾来持ってなくてはならない人間の動物の本能は希薄になったといことです。私は驚いてはいません、来るべくして起こったと思っています。


三好さん、その心は日本にはありません。考える力もなく生きています。自己責任という言葉も知らない。この国に芸術文化、哲学がなくなって久しい。わびさびの精神、雅性を知らずに生きています。全国の演劇人たちを抜粋して会議を作り演劇の向上普及を世界にという事で実行委員になり「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」を作りましたが、さて、これから演劇が何処へ行くのか分かりません。宝塚、劇団四季だけが飯が食べられるだけで、他の劇団員は飯が食えずにアルバイトに明け暮れています。設立の意義は飯の喰える演劇人をという事で作りました。東京の劇団は在日がひしめていています。役者を育てることが仕事の演出家は勉強不足、テレビの演出ばかりしています。韓国のファンタジードラマを作っているように思います。私は倉敷の物を19年間で72作公演しましたが、岡山の劇団とは付き合いがありませんでした。岡山の劇団は劇作が書けない、演出は東京の舞台のDVDを見てその真似をする、もういやになり15年前に辞めました。全国の仲間からは公演の度に招待状が届きますが、足が重たいのです。もう、文化はなくなっています、すべての芸術にその萌芽が見えません。書きあげたものはぜひ公演させたいと思っています。やけくそです。日本人が取り戻さなくてはならない物は『死生観』です。そのような考えで書きあげました。覚悟の無い人間に反省も責任もありません。愚痴をお許しください。

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三好 克彦







三好 克彦 吉馴さん 其の通りですね。
『死生観』を本当に意識して居る何程居るでしょうか。
舞台に限らず、哲学的思考から逃れるのが現在の「芸術」を自称する者達の姿では無いでしょうか。
芸術の存在価値とは何処にあるのかを真摯に「自問」して居る者が何人存在して居るのでしょうか。
自己の存在其の物が奇跡で有るのに、其れを知らずに平気で居られる者は存在する事に価値を見出して居るのか。

現状への疑問を遥かな昔に精神の奥に押し込めて態と漫然と生きる事を選んだ事に今頃になって不安を感じる。
活きると言う事は、毎日少しづつ死んで行って居る事を忘れる為に無理矢理「活きる」事のみに意識を向けて居るのでしょうか。

考えると眠れなくなりそうです。

何と無く、無為に過ごした様な50数年の間に「生きる」とは「死ぬ」とはを自問して来なかった、お気楽人間が人生の終末期が近づいて、今、少し焦って居ます。

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吉馴 悠







吉馴 悠 同じ思いです。今、日本には哲学も文学もなくなりました。この世の中に何か新しい発見がなかったらそれを必然として書く意味がありません。文学も芸術もなにも発見しなくて作ろうとしています。出来ないのです、今まで以上のものは…。この前書いたものは今の人間の環境の進歩、進化を止めよと書きました。人間が寄り添うための進化なら進化しない方がいいという事です。今、むしろ進化ではなく後退していると感じています。死生観、死んだ後の世の中を思って生きる、その本能が希薄になっているという現実に戸惑っています。たとえば、今の女性、メスの本能を捨てているとしか思えないのです。強くて逞しく頭のいいオスとの交尾が優性遺伝子をあとあとまで遺すと言う本能を捨てています。これでは人間の存続も怪しい、劣性遺伝子が増えて途絶えてしまうと思いました。死生観から生まれた本能がなくなっている。人間以外の動物の社会ではレイプはありません、人間だけです、女性が相手を選ぶべきの子孫繁栄が薄れている、強くて逞しい頭のいい男ではなくイケメンというオスを選んでいるのです。レイプは女性の心の隙間に起こると思っています。三好さん、私ももう75歳になりました。60歳ですべてを捨てました。15年間、世界の歴史、日本の歴史、世界の宗教を勉強したのです。そして、地球の誕生から人間の生成、今に至るまでを学びました。そして、書いてみたいと言う思いで書いたのです。遺作として、なにもかも受け入れよう、自然と一体になろう、そのなかで自分の意思で生きようと思ったのです。そう思った時、何かが開かれたように感じました。無です。無なら無で生きてやろう、無の精神で何かを作ろうとしているのです。すべてを受け入れる、そのように感じて生きています。ありがとうございました。

みなさんが言われることはその通りです。そもそも今の賞をもらうと言う事は商売の肩棒を担ぐと言う事でただのお祭りです。なんども書いて来ましたが、賞を貰ったことが格付けになるとでも思っているのなら人間として失格です。私も若い頃その賞なるものを二つ貰った時はその賞金は社会に還元しました。今受賞をするとその取り巻きの似非文化人がパーティーを開き、そのお返しにその賞金を使ってのお返しバーディーを開くと言う馬鹿なことに使っています。その程度の人が社会の人間の新しい発見など出来るわけもなく一作で終わる人達を沢山見てきました。賞というのはそれを契機にして新しい発見をしそれを必然として現わすことなのです。勘違い、したりさせたりするものではありません。審査員が10しか分からないとすれば12の作品は絶対に評価されない、世界も日本も今哲学文学もなくなっているのは真実と社会人間の在り方が分かっていないという事でしょう。それは古典として残っているものと今のものと比べれば分かります。古典の作品はテーマが風化していません。それは村上春樹と安倍公房と比べると歴然としています。三島由紀夫にかなう人は出ていません。欲しがっている人にではなく身銭を切りながら社会人間の新しい側面を発見している人に与えるべきものでなくてはならない。今の仏教界には金で戒名が変わると言う不思議な事が起こっています。戒名はその人がどのように生きて人のためになったかという基準でつけられたものです。賞は今何かと問われなくてはならない、国が与える勲章もその限りてはありません。ノーベル賞も結果に与えるのではなくこれから仕事をする人に与えるべきものです。今盛んに秋の文化賞を貰おうとして蠢いている人達が何と多いことか、無の心から生まれる貢献に対して貰ってもらうと言う姿勢が欲しいものです…。

広瀬さん、石川さんの書かれている事は事実です。あの明治維新から日本はもうロスチャイルドの手に落ちていたと言う方が正解いでしょう。坂本竜馬、勝海舟、等はフリーメイソンです。アメリカのリンカーンが奴隷解放をうたいそれをしなかった、ケネディーが貨幣を発行すると言って暗殺される、アメリカはロスチャイルドの手下になっていたという事でしょう。無論、イギリス、フランスもその例外ではありません。ドイツの二度の戦争も後ろには彼らがいたという事です。また、ロシアのレーニンによる革命の後ろにも彼らがいました。マルクスに「資本論」を書かせたのも彼らだと言う事です。日本は言ってみれば彼らの植民地であったと言えます。石川さんが言わんとしている満州崩れ達はすべて日本CIAのメンバーでCIAの指図で動いていた。彼らが後ろにいました。朝鮮人の事は石川さんが書かれているとおりです。私も石川さんとは違いコメントは書けないのです。変換しない、消える、文章にならないのです。ロスチャイルドに資金を提供している組織を書いたらいっぺんにそうなりました。フリーメイソンの議員は与党野党を問わずに大量にいます。政界だけではなくあらゆる分野にその人たちを見ます。テレビに出て発言している人たちは小物でまだその組織にははいらせてもらえません、がその後ろには金が動いていることでしょう。彼らは中共、南北朝鮮にも影響力を持っています。韓国の財閥や金融、大企業の株を大量に持っていて韓国の企業ではない言う事は周知の事実です。現代版の植民地政策は今新しい形をとりだしていると言っていいのではないでしょうか。それが顕著に表れているのが中共です…。また、アメリカが3年ごとに戦火の火種を作っているのもその一端かとも取れます…。明治維新後日本は植民地、属国になっている事を認識しまだ真の独立は出来ていないということです。これは完ぺきなシナリオどうりに進んでいます…。やがて人口の頭脳を持ったロボットたちが世界を席巻する日が近づいています…。


渡邉さん、なにを血迷っているのか日本全国に賞が多すぎます。それを設ければ文化が促進するという短絡的な行政が多すぎます。雑誌、新聞、出版社、等が商売のために賞を作っています。その賞を取ればなになに賞作家という事で肩書きになる、一種の権威となるのです。だが、現実を見ても物書きで飯が食える人は賞を貰っても何人かです。昔のように同人誌にはいり勉強をしていないから作品のストックは無い、受賞第一作が書けない、そこで終わりです。世間にはそんなひとがごろごろいます。その名に縋り人生を棒にしているのです。物書きで何が一番大切なことなのかという事をその人達は知りません。物書きなら文学的な生活をしなくては書き続けられません。社会の流れ、人間の心のひだから生まれる所作に敏感に反応する繊細な精神と感受性がなくては書くことは、新しい物の見方が無いと書けません。今のように日本語が乱れカタカナがはいりこんで曖昧にしている現状では三島由紀夫のようにな作品は絶対に書けない。また、日本の古典、今まで日本のリーダーたちの作品も読んでいません。これは賞を選考する人達にも言えます。作品を読んで行間に書き手の精神状態、生活から生まれる思想、生き方を読みとる能力を持っていない。たとえば、戦後賞を取った人達のなかには諸外国の作品をまねたもので賞を取った人が多かった。太陽族などアメリカに起こった青年たちの行動でありそれを日本に置き換えたものです。賞は完成された作品に与えるものではなく、その人が今後どのように成長し書き続けらりるかを見つけて与えるものです。それが今はその作品にのみ与えると言う非常に安物の考えで与えています。言ってみれば選考者が書き手を潰しているとも言えます。この芥川賞を取ったという人も世界観、宇宙観も無く現実を書いたものと思います。昔は左翼思想の人は「新日本文学賞」を取るひとが多かったのです。が、はっきり言ってこの選考者は日本文学振興、文芸春秋の意向に沿って賞を与えたと言えます。今の賞は商売になり下がっています。創設者の菊池寛は書いて飯が食べられる人、その才能に賞を与え作家の生活を保障すために儲けました。が、今の粗製乱造には苦虫を生きていたら持つことでしょう。簡単な例として五木寛之は直木賞を取ったときに同じレベルの作品を50作持っていた、そうでなくは「青春の門」を書けませんでした。権威を与えるだけなのか、その人がこれからの日本の文学の推進者になるのか、そり目的も無く選んでいるのが実態のように思えます。賞が作家生活を保障するものではなく、落ちた権威になり、その権威を振り回しているのが現状です。ここでもこの人の事を芥川賞作家と特殊に扱っているが、書けない物書きはただの人よりたちが悪いのです。今、本当の物書きは村上春樹ではなく、村上龍です。長文をお詫びいたします。

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Minoru Watanabe







Minoru Watanabe 吉馴さん、全くその通りと思います。本当の物書きは村上春樹ではなく、村上龍、同感です。昨今の芥川賞を受賞した作家は受賞後の二作目が芳しくなく一発屋で終わる者が大半です。日本には古くは古事記から始まり源氏物語等世界的に優れた作家・作品を育んできました。江戸時代も井原西鶴、近松門左衛門という作家を生みだしています。近代作家では森鴎外、夏目漱石、昭和になって菊池寛、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、司馬遼太郎、松本清張といった世界に通用する作家を生みだしています。これが世界に誇る日本の文芸遺産でしょう。最近の芥川賞を受賞した若い方々はこのような作品を読んでいるのでしょうか? 芥川賞より直木賞を取った作家の方がその後も良い作品を出し作家として世に受け入れられているような気がします。芥川賞は才能だけで一発で取った者が多いからかもしれません。才能だけで、先人の作家作品に多く触れようとしない若い方は折角の才能を自分で殺しているのではないでしょうか。

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吉馴 悠







吉馴 悠 渡邉さん、言われる通りです。菊池寛は芥川龍之介の様な、その意志と知的奇抜さを継承する様な作家を育てたかった、一発屋やではなく。今は一発屋、もっと人間とし作家の資質を尊重した思いで選考委員は将来を見据えて賞を与えるべきなのです。私たちの世代ですと、文学青年が同人誌にはいり先輩たちの姿を見て、日本の作家もさることながら、世界の文学書を読みあさりそれを研究の課題図書としてなぜこの作家がこれを書かなければならなかったかを論じあったものです。賞が安直になり過ぎ、それを与えることで物書きを潰しているのです。そのころの文学青年は政治と文学は相対して人間の幸せとは何かを競うように書いていました。無論政治批判もくさんしていました。私はもうこれ以上天賦と才能のある人達を潰してほしくないと言う思いです。商売と、行政は、文化に携わるなという事を常に訴えてきました。言ってみれば邪魔ばかりしているのです。なぜ、江戸時代に文化が花開いたのか、規制もしましたがほっておいたことが肥やしになっているのです。


ご苦労様です。私も若かったころ10年間ほど同人誌の編集をしましたが、人様のたくさんの生原稿を読まなくてはならないし書かなくてはならない、でもそれがいい勉強になりました。私は自分史は絶対に載せませんでした。多少の未完成なものも作者の熱意が感じられ彼が書かなくてはならないというテーマを取り上げました。そのうちの何人かは賞を取って、見事、文学の世界から別の人生を目指しました。一つの区きりであったのです。今、物書きが食える時代は終わりました。農家として、踊りの宗派を立ちあげて、青春の思い出として飛び立っていきました。1人残されました、また多くの人たちが書くことの限界を知って去りました。私は書いた人が何枚書こうが掲載料は同じとしてもらいました、その分掲載誌を等分に分けました。一人50冊から多い時には100冊渡しました。残りは全国に散らしました。全国からほしいという人がたくさんいましたから余分に、また、売れない人たちに回していました。とにかく書いた人が読んでもらうために売る、差し上げるということをしてほしかったのです。広告は入れませんでした。が、応援してくれる人たちが助けてくれました。なぜ載せないのかと言われたことはたびたびでしたが、編集方針は変えなかったのです。今は懐かしい思い出です。60歳にすべてを終わりにしたのですが、74さい7か月に、15年ぶりに老妻へのラブレターとして「砂漠の灯台」「銀杏繁れる木の下で」を書きました。すごく楽しくかけました。大変でしょうがやりがいのあることですので頑張って続けてください。まずは、ご自愛ください。

世界の趨勢からして今が日本にとっては最高の環境でしょう。アメリカ、ロシアが疲弊しているということは影もそうだということでしょう。この話は想像を超えて現実味を帯びている。安倍総理のことは韓国との会議のおりにその片鱗を見せてくれました。核はもうできているという話は水面下で出ていました。日本が実力ある装備ができつつあると読んで中狂は焦っています。もうレーザー砲はできているでしょう。軍備はもう軍人の数ではなく銃器装備が主です。空海陸と整っています。国会でらちもない質問と答弁を繰り返している間に着々と進んでいるのです。安倍総理はレンホーのことを利用しているのは見えていました。沖縄も、何かを起こしておいて何かが進んでいるというのが国のあり方です。それは田中角栄さんが中国との国交回復のおりあさま山荘事件が起こり国民はみなそちらに向いていました。大きな事件がある時には報道は特に注意しろというのが記者たちの心得でしたが今の記者は自分の創作を書く、それは作家の妄想創造にはかないません。ここにも書かれていますが本心を見せないのも政治家の気質でなくてはならない。小を捨て大をとる、そこには嘘がいります。安倍総理が偉大であればあるほど反対勢力は騒ぐでしょう。それを無視してことを運ぶそれこそ軍師の心得、全体が見えている証拠です。戦国時代と同じでいま日本にかなえ軍事国はありません。自衛隊という名の最強軍です。稲田防相がいい演技をしてくれています。それに小池都知事が水を得た魚のようにはねています。その後ろで安倍総理は思うままのシナリオが書けるのです。国民はまず信じてみることにして見ようではありませんか。命を懸けている安倍総理、そんな総理は何人もいませんでした。
私は古事記を斜めに読みましたが、ねずさん、昔々食べるためにみんな木の鍬、鍬をもって大地を耕していた。鉄が、これは地球ができたときにあった、ものが鍬やすきに代わり農作業がものすごくはかどって、働かないでいい人たちが生まれた。その人たちは空を見て、海を見て、稜線を見ていろいろと考え思った。それに、動物としての感が冴えてあらゆるものを覚知していった。今なくなりつつある考えるということを励んだ。それが宇宙を知り地動説を知り人間とは何か、生きるということは何か、を突き詰めていった。また、2千万年ですべての地球上の動植物は死滅を繰り返しているが、その終末には今よりはるかに優れた文明が存在していてもおかしくない。そのおかしくないものが何らかの都合で残されていて、それから得た知識が少し広がっていった。2億年の恐竜の時代、そのあとには2千万年の高度な人間の歴史があった。例えば4億5千万年も植物の銀杏は今まで生き続けている稀有のものです。その昔ブッタやキリストのような人たちはいっぱいいた。古事記に通じるのは仏教でいう阿頼耶識、カルマによるところが多いと思います。これすべての人間にあるものでしょう。私たちが知らないけれど古代の人はみんな知っていたということでしょう。今、科学は人間の魂の分野まで追求し死後の世界はあるかに挑戦しています。地球上には今の人間の理解のほかのものが点在して驚いていますがもっとたくさん地上にはあって、隕石の衝突、地殻変動で消滅していると思われます。古事記でそれを書き記し次世代に伝えたかったものを人間は、進歩とか進化が人間を滅ぼすことを知らなくてはならない。文明によって人間は滅んでいると…。

当時の人は一人1年間で1石あれば生活ができたといいます。石、俵、斗、升、合もすべて人が食べて生きていくうえで必要に応じて作られています。土地も人の歩幅を基準にして坪、畝、反、町、としています。坪は二人が横になれる面積です。当時の一尺は日本と中国とは長さが違います。尺、間、町、里も人の歩幅でした。例えば日本の尺と30センチで中国は10なんセンチでしたのでした。ここに万里の長城の思い込みがあります。短いのです。米を金に換えて儲けていたのは札差です。武士は何石という俸給が書かれたものを米商人に売りそこで金に換えていたのです。ほとんどの商人は裏で金貸しをしていました。金が払えないと土地を取り上げる、幕末のころには商人が広大な土地を持っていました。これは、私が「天領倉敷代官所炎上」を書いたときに調べたもので少し忘却していますが、すべてが人の生活の中からまれていました。今、時代劇で農の人と知行米のことで搾取が行われていたというようなバカなことを書く人演じる人たちがいますが、税が高ければみんな逃げたので五分五分であったということでした。今の時代劇は韓国のファンタジーのようにむちゃくちゃです。無礼討ちなどと言われますが、武士は戦以外には絶対に刀を抜いていません。万一怪我でもすると主君に申し訳ないという律儀な生活をしていました。家のことはすべて妻女に任せていつ死んでも後顧のない生き方をしていました。妻女は経済をすべて任されていました。これで男尊女卑とは笑えます。身分差別はなく何をして生きているのかで士農工商としています。広瀬さん、いつもいつも、こんなことばかり書いて申し訳ありません。女性解放を叫んだ明治、大正、の烈女たちは解放が性の解放と勘違いをしていた、世界の趨勢を知らずにです。世界で女性に参政権が与えられたのは日本と同じ1946年です。ごめんなさいもうやめます。おやすみなさい…。

結婚するうえで覚悟を決めなくてはならないのは、「歳を取り寝たきりになったときその片割れが下の世話までするという決心が無くては夫婦になることは避けるべきだと思う」。書いたかもしれませんが、今、あらゆる動物の中にあって、人間のメスは本来の本能をなくしつある。どの動物もよい遺伝子を残すために強くてたくましく頭のいいオスを本能として選びます。が人間のメスにはなくなりイケメンのオスとかにうつつをというのでは優性遺伝子が生まれません。天皇家が男子をというのは男子の遺伝子が男の子に行くからなのであって、女子は母親の遺伝子がゆくのです。これは今科学的にはっきりとしてきています。神武帝以来そのことは分かっていたということなのです。男性天皇であって初めて天皇家の遺伝子は引き継がれるのです。これはどこの家にも言えることです。歳をとると若かったころの心に帰り夫婦はより深く結ばれるものです。手をつないでどこまでも歩いてください。余剰を書きましたことご勘弁ください。

ありがとうございます。打ち間違いがありました。お許しください。学校の歴史で習った悪政を引いたといわれる水野忠邦、田沼意次の改革がなかったら江戸時代はその時点で終わっていたでしょう。江戸時代は物価の多少の上下があましたがほとんど変わっていません。270年間、職人の一日の手間賃が1か月分の家賃でした。江戸っ子が宵越しの金を持たなかったというのがこれで証明されました。また、ごみ置き場がない、そうですすべて使い切っていました。使い切るからごみ置き場がなかったということです。これを見ると腹が立つ、東西町奉行、江戸の町を守るのに何十人しかいなかった。東と西を合わせても100人足らずでした。銭形平次、半七、などという岡っ引きは短い期間にいましたが、ほとんど町役人が取りしまっていた。それだけの人数であるということは平和であったということです。また、大岡裁き、遠山きんさん、などは町人をさばいてはいない。言って見れば奉行は今の最高裁判事というところで全国の訴えに応じて裁いていた。町人は与力がさばいていた。町役人で10石も貰えればいいほうでした。御家人が金子を積んで町役人の株を買う、そんな時代でした。平和な時代が続いたから、文化が花開いたということです。町には一人として乞食がいなかった、誰かが面倒を見るそんな時代でした。縦社会で、世襲、庄屋は庄屋道を学び、商人は商人道を、職人は職人道をという風に代々受け継がれた生き方、他人に対しての対応の仕方、茶碗と箸の、膳の使い道も教えられて次に渡していた。武士は高膳、町人は平膳という風になっていた。武士は茶碗を手に取らずに箸でつまんで食べたので足のある高膳を使い、町人は茶碗を手に取り食べる平膳を使った。しきたりが自然にできていたと言えます。今の市民課の役は寺がしていました。このあたりから僧侶のあり方が大きく変わるのです。町には歌舞音曲が盛んで活気を呈していました。後家さんや大店の娘たちは歌舞伎を見る、当時は投げ銭でごひいきの役者を競り落とすという風習かありました。一晩のデートと言えます。今も昔も変わりません。この辺で・・・。私は職人の手業に驚嘆したのです。それが今の日本のものつくりの技術につながっていることにです・・・。

維新から大東亜までの歴史、戦後のアメリカの統治など真実を正確に教えなくてはこの国は自虐史観でつぶされる。インドネシアに対しての日本の援助は莫大である。戦後インドネシアに無り戦ったということは、日本もインドネシアもその功績を果たして認めていたのかと思う。銀座のクラブにいた女性をスカルノの第三夫人として、そこまでしてご機嫌をとらなくてはならなかったというのか。歴史に残っても今は忘れ縋りつくことしかしない。私はこの国を信用してはいない。朝鮮戦争のおり、復員軍人が日本海で魚雷除去として戦い、アメリカ兵の負傷者を日本に運び死体を化粧処理し、病院では治療に尽くしていた、が、それはいったいなんであったのか。インドネシアも日本に恩を感じてくれとは言わない、が、その心があるのなら自立して国を立て直し作ることこそ、3000人の残留兵の御霊に敬礼ができることを考えてほしい。今の姿にはそれがまったく見えない。言葉ではない、インドネシアの発展こそが無駄死にという言葉をなくし報いることなのだと思う。

家人が見ているので書き物をしていてちょこちょことみることがある。「あさがきた」では維新と明治を茶番にし、三井財閥と五代財閥を書かなかった。「トト・・・」は戦中戦後、国民がどのように貧乏と戦っていたのかがまるでかけてなく、三人の姉妹が女学校へ行くことができる経済的な基盤が抜けていた。それに紙のない時代に雑誌をいとも簡単に出す、花岡安治氏のこと、田宮虎彦、葛西善蔵らとの親交も見えなかった。これほど真実を歪曲しても国民はわからない、みんな見てよかったとい。このドラマは私の幼少期とダブる。それにしても出てくる役者になんと華がない人ばかりなのか、東京の劇団はほとんどが在日がやっている。そこから拾い上げてくるのだからこの程度なのか。また、在日の役者も多い。私も演出家の端くれだったが、演技はつけなかった。そり代わり台本を徹底的に分析させた。その方法もしっかり教えた。今は台本の形式を知らない劇作家ばかり、脚本の分析、演出ノートが書ける人も稀だろう。演技を付けるのが演出ではない、役者を育てるのが本分なのだ。どうも亡くなった人を悪く言うのはどうかと思うが、蜷川幸雄氏あたりから役者が育たなくなった。彼がいちいち言葉まで教えたのが災いしている。顔をがみんな鳥小屋にいる鶏でいずれブロイラーになる宿命なのか、個性がまるでない。もう、辞めたほうがいい、国民を馬鹿にする、洗脳するものは…。

そもそも、親が子供に背中を見せて生き方を教えることのできない人たちがPTAの役員をすることがわからない。学校では真理真実を学び、あとのことは家庭教育です。叱られるかもしれませんが、せめて小学校に上がるまでは親が子供の面倒を見ながらしつけや社会の仕組みを教えることでしょう。私は子供のためということで深夜パートをする主婦の人たちを悲しく眺めます。人間は学力、金銭では幸せにはなれません。いつも同じことを書きますが、「人は心に大切な種をもって生まれてきます。それを育てるのは「夢」という肥しがいるのです」PTAの役員さんの前で何度も講演したことがあります。まず第一声として「おかあさん方は朝起きてきたお子さんの目を見ますか」これがほとんどの人が見ていないのにはびっくりしました。親は子供の目を見てその日の健康状態を知らなくてはならないのです。それができない人たちが役員でした。「知らない人から声をかけられたらすぐ逃げなさい」と教えてる。
この国の良識がどんどん崩れてる気かしてなりませんね。こんな言葉は、何があっても人間を信じる、その心がないと社会は成り立ちません。親の生き方が子供の生き方になってはならない。動物は危機感への反応を備え持っています。人間もその例にもれません。良識ではなく本能が希薄になっているのです。間違った保護なのです。私は最近、母親の方たちに「おかあさんたちは子供の身代わりになって死ねますか」と取材をしました。みんな黙り込んでいました。これが今の母親たちなのです…。

NHKがヒストリアとして有名人の先祖を探し出しているが、私に言わせればまったくのでたらめといえます。江戸時代には黄金をためた商人や名をなした人たちがいい系図をほしがり当時はやっていた系図屋に頼みより金額の多さで先祖が変わっていた。それを見れば作られたものとすぐわかるものです。私はその系図をまったく信用してはいない。立派な先祖を持つていたら今ある人品、顔がそれを物語らなくてはならないということです。家には代々言い伝えられた言葉に、そのあとを生きた人たちが生きて感じた言葉の財産を残しています。それらを鑑みたらその嘘がすくにわかるのです。言い換えれば武士道、庄屋道、商人道、職人道という風に口伝が言い伝えられてなくてはならないしそのために何が必要かを学ばなかったらできなかったということです。私は、財産は残しません。生きて感じた一言の言葉を残すことに決めています。倫子さん、家が確かならそれは伝え続けています。先祖の血を遺伝子をつなげています。はっきりと言って明治大正昭和の初期の女性解放を叫んだ人たちは全く世界の趨勢を、世界においての女性は性奴隷の地位を勘違いしています。日本の女性は性の奴隷ではなかった。一家の経済を任されていました。男尊女卑などという言葉は日本にはなかったのです。女性の教育の学舎はなかったとしても世界において日本の女性ほど識字率が高い人たちはいなかった。女性解放を性の解放のごときとらえ方をしたのです。私は女性活動家としては福田英子、かんのすが、は認めてもほかの活動家は認められません。松井須磨子、与謝野晶子、平塚雷鳥らの大正デモクラシーの人たちは認めたくありません。人を不幸に陥れて正論を解くことが出来るとは思えないからです。今、家族制度が崩壊し、先祖から伝えられたものを残すことが困難になっています。だが、先祖の血は脈々と流れ続いてきています。その遺伝子はぜひつながなくてはならないでしょう。何度その危機を書いてきました、女性の本来持っている本能が希薄になっている。私はそこに民族の存続が危ういと言い続けています。優性遺伝子を生んでいた女性が見てくれの男にうつつを垂れていてはこの国は他国に侵略されることでしょう。

戯作者は皆さんとは少し違った視点を持っています。学者や郷土史家や歴史家はあるものを調べてものを言い書き記すのには長けています。が、それが真実かどうかはほからない。今まで朝鮮についてたくさん解いていますが、書いていないところから何かを見つけるのが作家であり戯作者です。歴史がこうも歴然と出てくるのは何か影があると思うのがへそ曲がりの前出の人たちと異なるところなのです。あの国の歴史、今の大統領は白丁の出身です。白丁が置かれていた地位は最下級です。まだ当時の差別がある国では両班が黙っているでしょうか。快く思っていないということは今の韓国を見ればわかります。かつて、両班が名前だけで国民のために何もしなくて横暴を極めていた時代が長く続きました。その時代には妓生が陰で大きな力を持っていた、これは史実には表れていません。物書きはその妓生に照準を合わせることで朝鮮民族のあり方を想像する、妄想かもしれませんがそこに行きつくのです。妓生は奴隷ではなく団結をした大きな組織でした。性奴隷ではなかった。男は女性がいなくては生きていけないものです、国が動かせなかった。その武器を妓生は持っていた。城傾の女性が輩出してもおかしくありません。韓国のファンタジーにも出てきません、日本の朝鮮通人たちの口の端にも乗りません。ということは何かが隠されていると読むのが物書きです。李王朝が長く続いたうえでの妓生の役割があったとみるべきです。女性の本能を甘く見ていると、男などたわいのないものです。いつの時代でも性奴隷という隠れ蓑の後ろで実験を持っていたとこの戯作者は思っています。性を売る人たちの強靭な精神があれば動かせないものはないと考えています。男はその掌の平で踊る手ごまだと…。元慰安婦だといって演技をしている、あの強かさこそ妓生のしたたかさです…。

俗説の聖徳太子はいなかったということに、それは真実かもしれないという物書きの好奇心があるのです。今、宇宙哲学を少し学び、古事記、日本書紀を思いだしているのですが、謎が多すぎるのです。藤原氏、蘇我氏、砕くように知れば私の古代の認識は全く違ったものになります。光秀のことも信長のことも二人には相通じるコンタクトがあった。当時の人たちには今では考えられない霊感があり、世界の覇者がシャーマンからお告げを貰うようなことがなく、当事者がそれを持っていた。それは己の運命も知っていたということでもあると思います。つまり未来が予知できたとしたら、光秀はそこに答えを見出していなくてはならない。私は岡野さんとは異なる思いで光秀複数説なるものを感じています。これは架空の範囲かもしれませんが、聖徳太子、蘇我氏、藤原氏、天智帝、天武帝にさかのぼらなくても、神代文字がありながらなぜ漢字を使わなくては日本統一が出来なかったのかという、その不思議と同じように解けない知恵の輪のように思えるのです。私は戦国時代を知りません、だから創造、秀吉、家康の以後のあり方から広げるしかないのです。例えば、坂本龍馬は維新を成し遂げた人達にはよく思われていなかった。これは、明治政府が竜馬の妻女おりょうを維新の立役者として尊敬しているような処遇をしていないということから推察しています。私は秀吉、家康から見ることしかできないのです。つまらないことを書き申しわけありません。

倫子先生、心臓と血圧について少し勉強をしてください。なぜ血圧が上がるかをホームドクターに聞いてください。130.140などという数字は日本だけです。厚生労働省はその数値を掲げて病人を作っているのです。医師も薬局もそれで儲かるのです。が良心的な医師は生活、仕事、年齢、など細かく聞いて判断してくれるはずです。数値のように一律ではないのです。個人差が当然あります。日本はその数値を決めるのが好きなようです。血圧、コレステロール、血糖、体温、今の基準より高くなくては病気になります。低いとまず癌患者が増えるはずです。血圧は体の異常を見つけて心臓から血液を送るスピードを速くして攻撃しているのです。コレステロールも高くなくては癌にかかる率が高くなります。アメリカでは血圧もコレステロールの値も図りません。メタボなど一切何も言いません。寝たきりの病人が増えるのも飲まないでいいのに薬を飲むからなのです。130という血圧では頭の回転がしなくて考える作業はできないでしょう。林芙美子が真冬でも裸で原稿を書いていたということは、血圧が高くなって体が熱くなっていたということです。私などでも書いているときには200を超えています。また、血圧の図り方を知らない人が多すぎます。横になって3-5分間して両の腕で測る、血圧計は2個いるのです。それを3回ずつ試みてその中間を結果とする。医師が学生の時に学ぶのは年齢+90を正常と教えられるはずです。血圧が低いと脳の血管が詰まるということを言われています。破裂するよりその方が多いのです。そんなに気になるのなら、慶応医大病院をお勧めします。国の基準で治療をしていません。病院関係者、患者の健康な時の数値を調べ上げて独自の数値を出して治療をしています。あまり気にするとストレスがたまりその方が怖いのです。私は高血圧、糖尿病と診断され薬を貰いますが、飲んでいません。これはお付き合いでもらっているのです。飲んでいないのは医師も知っています。世の中の矛盾でもあります。このように書いたからと言って信じることはありません。食事が出来てお酒がうまければ大丈夫です。これは私の友人への取材から多少私の意見を入れて書きました。ご自愛ください…。

ねずさん、勉強になりました。ありがとうございました。幕末の倉敷を書くために江戸時代を少し調べている途中、正月に各大名が江戸城に登城して年賀の挨拶をした後、一尺はあろうかというお頭がいた鯛の膳が出ていた。その数は何千尾、その日のために江戸湾、下田に大きな生け簀を作り養殖をしていたことにはびっくりしました。また、江戸っ子は宵越しの金は持たねえというのは、職人の一日の手間賃が長屋のたな賃という経済の仕組み、町には「小便一回大根一本」と言いながら肥料を集める、ごみのない生活の仕組み、士農工商は身分差別ではなく職業の区分け、時代劇などで年貢が高いというウソ、高ければ耕す人はみんな逃げていた。一年に伊勢神宮におかげ参りをする人たちは200万人、街道沿いではその人たちに飯は食わす宿は貸すついでに路銀もくれてやる、そのお接待とおもてなし。侍の無礼うちなどどこを捜してもありません。江戸に火事が多かったのは家に付く疫病菌を払うため、掘割を水路と防災、防御のため。水野忠邦、田沼意次が改革をしなかったらたちまち江戸時代は終わっていた。南北町奉行は今でいえば最高裁の判事、岡っ引きは一時期いたが100名足らずで大江戸八百八町を取り締まっていたのは同心、町方、それだけ犯罪はなかった。260年、物価は多少上下したが安定していた。こんな時代に何の不平があるのかと、庶民の暮らしは世襲で食べられていた。そんな日本を植民地にしたくてしたくてたまらなかったのがイギリス、鉄砲は優れていて、国民は識字率は60パーセントに届く、宣教師は何もできずに国に帰って泣き言を言い、アメリカの奴隷商人の船が来たが文化のすごさに驚いて帰った。長州と薩摩の下級武士を先導し洗脳して金を与えてクーデターを起こさせたのはロスチャイルドの手のフリーメイソン。江戸の昔が懐かしく書いてしまいました。お許しを…。

ねずさん、江戸時代に相撲で飯が食えたのでしょうか。1年を10日で暮らすいい男などと騒がれていたけれど、10両は年に10両でそれより多く貰っていた幕内、三役、当時には横綱はいなかった。雷電は大関です。谷風、雷電の名は有名ですが、あとが出てきません。私はそこに何かを思わなくてはならない。相撲取りは武士のような精神の鍛練をした人たちではありません。面白い話ですが、雷電にその精神性を見つけることが出来ないのです。物好きな大名の庇護はあったことでしょうが、将棋のように藩の名誉をかけて勝負を決めるということもなかった。当時は将棋の家元、大橋、西大橋、伊藤がいてお大名や家臣に指南していた、大店の町人も習って広く親しまれていた。今のように相撲が人気があったとは思えないのです。職人の暮らしを見ても1日の仕事は昼過ぎに終え、銭湯に入り汗を流し、家に帰り妻子の面倒を見てそのあとは吉原という風に決まっていました。庶民は浮世絵、黄表紙、洒落本などを好んで読んでいた。歌舞伎は女性客でいっぱいだった。相撲好きもいたでしょうが果たして職業として成り立っていたのか。江戸っ子は粋でいなせな喧嘩好きとはいえ、どうなんでしょう。1年で10日の取り組みなのです。専門的に調べてはおりませんが、あとの340日に何にをしていたのか、巡業にはむろん出かけていたでしょうが、ここに何かかあると考えるのは戯作者の勘繰りでしょうか。士農工商という職業区分になかには入っておりません。歌舞伎、相撲、は本当の所なんだったのでしょうか、傀儡という言葉が浮かびますが…。江戸時代には職業がはっきりと区分けされていた時代です、相撲の歴史の本が出ているのですか、不勉強で申し訳ありませんが、さて、これを書いていて江戸時代に思いをはせていますが答えがみつかりません…。長谷川伸さんが書いた「一本刀土俵入り」が浮かんでいます…。

ルーズベルトの医師を受けてシナリオは書かれ、朝日新聞によって国民は洗脳され戦争へと傾いていく。その煽情に乗ったことには国民も責任はある。日本を戦争に引き込んだのはアメリカ、これはイギリスが長州と薩摩の下級武士をあおり武器弾薬、戦艦を買い与えたときと似ている、フリーメイソンに使われて竜馬は用が済めば暗殺された。鉄鉱石は満州と北朝鮮にあったが、石油を止められて日本は窮地に落とされた。が、戦争は2年で終わっていたはずなのになぜ20/8/15日まで続いたかはここには書けない。真珠湾奇襲というけれど中国と戦っている後ろにはアメリカとドイツとがおり交戦状態であった。ここには書けないといったが、ここには大きな影が横たわっている。なぜ、アメリカは京都と奈良を空爆しなかったのか、文化財保存という欺瞞がそこにある。日本に対して行った作戦はのちにベトナム、リビア、イラク、シリアへと使われることになった。植民地と、人種差別反対、の日本をこの地上から葬ることが大な利益をあげるからだった。第一次第二次戦争は金儲けのために起こされ、アメリカと連合軍を操ったイルミナティーのフリーメイソン達です。連合軍によるドイツでのレイプは、フランスでのレイプは歴史として大きく扱われることはない。戦争とは軍服を着たものの戦いだが、この百年間の戦争は非戦闘員を虐殺することに尽きている。白人たちは動物を殺すように人間を殺傷する。これは地球の人間の歴史である。

私は維新前に高杉晋作が組織した奇兵隊を150名の隊士とともに脱走し、備中天領倉敷代官所を奇襲し焼き討ちし師走の町を混乱させた立石孫一郎の物語を書いたことがあります。その時に高杉晋作、竜馬を出して書きました。高杉はどうにかかけたのですが、竜馬が書けませんでした。竜馬が生活する金をどこで稼いでいたのかわからなかったからです。長曾我部の残党で白旗の竜馬にそんな金があるとは思えなかったのです。ここに維新の謎がありました。あまりにも司馬さんの「竜馬がゆく」で英雄として取り上げられ有名、だが、司馬さんによっても書き込めていないことは、竜馬の経済です。そして長州の、薩摩の財政です。私はモノを書くときにはその人が何をして食べているのかを絶対に書きます、そうでなくては人格が浮かび上がらないのです。維新、謎が多すぎます。その謎を説いてくれているのでしょうか。明治の代なってアジアの各国の植民地に日本のうら若い女性たちがからゆきさんとして渡り男たちと・・・その人たちの墓は日本を向いて建てられています。また、アメリカの北西部からカナダにかけて出稼ぎに行った多くの若い女性たち、なぜその人達が春を鬻ぎに出向かなくてはならなかったのでしょうか。私には維新の意義が見えないのです。なぜ徳川慶喜が途中で軍を引き返したのでしょうか。それらのことも語られたのでしょうか。私は徳川からでもなく、維新側からでもなく俯瞰してもわからないことが多すぎますが、これ以上は書かないことにします。お許しを…。

維新と言えば坂本龍馬が暗殺され残された妻のおりよがそのあとどのような人生を歩んだかでおおよその見当は付きます。私は維新のことは維新後の在り方でその歴史を知るということをしてきました。文明開化、その後ろでどれほどの人たちがなくなり悲惨な人生を送ったのか、戦うこともできず軍用金を取り上げられ次の戦に駆り出された諸藩の苦しみ、それらの話を聞くにつけ重たい心が広がります。私は江戸時代が好きです。今に至るまで江戸時代に作られた文化を超えてはいません。私は維新後に日本は皆さんが言うような神の国ではなくなったと思っています。日清、日露、第一次、第二次、そして終戦、今の日本人の在り方を見て、その因は維新から…。

はっきりと言って、役者音痴です。俳優座、文学座、民芸、青年座、そのころは左の演目を公演することが文化だと思っていた団体が多かった。時にはチェホフとか安倍公房の作品を公演していたが、安保の先頭に立っていたのはこの団体の人でした。映画の世界は完全にCIAの思惑で動いていた。小津安二郎、木下恵介らの常識派もいましたが、ほとんどが勧善懲悪、日本人に自虐史観を植え付けるものでした。吉永の「キューポラ・・・」に出てくる朝鮮人役の小沢正一は存在感を見せていましたが・・・。吉永の御乱行は日活、その後ろのCIAによって封殺されました。その頃のその世界の人はみんな知っていましたが口を開くことはありませんでした。当時の背の高い俳優はすべてが朝鮮の人たちでした。この人は清純を演じていたという点は役者なのかしれませんが、今は、何を勘違いしたのかわけのわからないことをの賜っている。さも正義と言わんばかりのこれも御乱行を続けている。毎年広島の被ばくについて朗読をしていることに酔っている。あの碑文に主語がないことに気づいていない。また、広島でその朗読に何の意味もなく過去を思い出させ何が生まれるのかという考えもない。その朗読は非戦闘員を殺し原爆実験をしたアメリカ、ロスアンゼルス、二ュ―ヨークで語って初めて価値のあるものであることにまったく思いをはせることもなく続けている。この人に寂聴と同じ匂いを感じている。

倫子先生、私もよみました「サラダ記念日」この演歌の作詞にも劣るものに賞を与えた選考委員の資質を疑った。57577の文字を現代風にうずめただけ、表現は表現者の生活が、人間性が見えるものですが、奇抜を装って隠していた。まあ、短歌の世界では飯が食えないから目新しいものを選んだのかもしれないと思った。が、やたらテレビや新聞に出るよになって本性を現した。やくに至っては横綱審議会の委員とは呆れる。この人の漫画を見たことがないので何とも言えませんが、日ごろの言動には剣があり横柄な態度が何かを隠しているようにも思えていた。日本も本当に文化人と称する人たちはみんな偽物であるという認識を感じています。本当の文化人はテレビとか新聞にはでません。謙譲の中にいて静観して己を磨いています。だが、このような流行語大賞なるものに振り回されるということは日本人も民度が落ちたということになりますす。貰う人、審査員のレベルに付き合うことはなくていい。人が決めるのではなく、今年こんな言葉がはやったな、私ならこれが妥当だと思うくらいにとどめて、無関心、無視をすべきです。振り回されて民度を下げることはないと思います。どうせ反日の嫌がらせとして処理して知らん顔をすることが妥当で騒ぐとその手に落ちます。国民はその翻意で第二の文化圏を作ることです。みんなで作りましょう。メディアに左右されない日本人に必要な文化を、哲学を、それがまず第一義だと思います。民主主義は終焉しつつあります。新しい夜明けを作ることが求められています…。

今ささやかれているのは北朝鮮は満州国にいた中野陸軍学校、ぞくに言う日本の諜報員、スパイが北に入り残っています。それにCIAが後ろで北朝鮮を起こしたということです。北とCIAは、ペンタゴンはつながっているということが表に出てくるのは時間の問題でしょう。今まで私が北の問題をあしざまに書かなかった裏にはこのような情報を精査していたからです。資源大国の北をほっておくわけがありません。孫が身代金として払ったということです。王将は朝鮮人です。二人が狙われたのは韓国に対しての不穏な動きを見つかり、王将の事件はプロの仕業です。日本の検察も動かなかったことでお分かりだと思いますが。CIA、日本の元諜報員の働き、金日成はソ連に1年間行っていた間にソ連ではなくCIAと日本の元諜報員たちが北朝鮮という国を作り日本統治を有利にするためにということです。言って見れば孫も手ごまです。みずほが加担しているのもその筋の指令でしょう。今の北が日本に対して核の脅威を感じていないのはそのためです。ここには書けませんがまだ大きな問題もあるのです。また、その件も精査してお知らせいたします。ここに出てくるのは戦後の吉田茂、鳩山一郎、白洲次郎の正体を明かさなくてはならないので、渡辺さんには心外でしょうが…。とりあえずこのあたりで解釈していただきますか…。

朝日の認知症ぶりについては皆様にお願いして、地方新聞の報道の方が問題。まあ、地方紙をまじめに読んでいる人は少ないが、支局や通信局をおていているところは多い。が、これらの記者の一文字の稿料は流行作家より高い。彼らは地域版の行事、事件を書き、警察、駅、役所にある記者クラブでそれらの発表を記事にするだけというのんきな仕事ぶりである。あとの時間は貴社クラブの天井まで積まれた缶ビールを飲み将棋、囲碁に興じているのだ。特権階級で、スピード違反、酔っぱらい運転も大目に見てもらえる、また記者は警官の素行を書き連ねた手帳を持っていて取引をすることもある。紙面の記事はすべてが共同通信、時事通信から買ったもので地方紙はみな一緒である。朝日よりも激しい誤報に満ち満ちている。これを何とかしなくては国民の痴呆症状は治らない。助かることは地方の読者、読まない読者はチラシがほしいからとっていてまず買う、地域の記事だけである点が幸か不幸か幸いしている。まず朝日と並行して共同通信、時事通信の記事を買っている地方紙からつぶさなくてはならない。貴社魂などとこかに捨てた記者ばかりでもある。私も少しの間籍を置いていたが、徹底的に記者魂を叩き込まれた。ペンは人を殺すと…。

京裁判」を読んでおりません。つたない戯作者は東京裁判をその時点ではなく、始まり、ペリー提督から書き始めるのです、また、幕引きは本来のユダヤ人ではないハーザル人がユダヤ人を名乗った野望にさかのぼらなくてはならないのです。その欲望をほしいままにして支配したその終焉がこのシナリオの終わりなのだと考えています。東京裁判はその筋書きのクライマックスなのかもしれません。参考書にとらわれると想像の幅を広げることが出来なくなり広がらないのです。NHKがこのドキュメントを作っても真実に触れることはないでしょう。維新クーデター、日清、日露、第一次、大東亜、の総括、そして、第三次への序章だと思っています。この問題を書き表す力はありません。先だって書いた「砂漠の燈台」という小説に書き込もうとしましたが、書けませんでした。あのエジプトのビラミットこそ地球の未来を語るものとして書こうとしましたが、それはこれからのものとして一端閉じました。戯作者の悪い癖はその問題だけではなく前後を感じ取らなくては「東京裁判」の現実を見ることが出来ないという悪弊があります。国際法というものを作りなぜそれを無視する行動をとったのか、そこに人間のエゴを見ています。いろいろな感想を書き込み読ませてください。書いていて、十字軍、テンプル騎士団によって財を蓄えたキリスト教、それらをことごとく打ち負かして財宝を穫取してフランス王、のことが頭をかすめました…。

これは沖縄県民が決めることです。その中で日本に帰属していたいという島があるのなら日本として残るという方式で決めればいい。それにしても覇気がない、異常な県知事、大学、新聞、中韓、日本共産党に振り回されておとなしくしている県民は何を考えているのか、このようなことだから大江に「沖縄の旅」で軍の指令で集団自決をさせられたという虚偽がまかり通る、それに対して真実を語る勇気のなさには落胆している。沖縄に駐留しているアメリカ軍は日本を守るためではなく、アジア全般の安全を抑止している。日本もトランプの出方で対策を考えていては遅い、自衛隊を増強して国防に固めなくてはならない。平和ボケした国民、テレビを見て笑っている場合ではない、日本は領海にケーブルを引き終わってどこでもいつでも侵略に対しての情報は集まっている、自衛隊の装備は世界二位、潜水艦は各国の追従を許すことのない性能、その潜水艦から攻撃する世界に類を見ないミサイルはどこにもまねのできない正確無比の破壊力、軍事衛星も打ち上げを許されてもうすぐ打ち上げられる、が、交戦が出来ないから黙るしかない。今日、ロシあのプーチン氏が来ているが、技術力と金を出せようとしているだけ、安倍総理は技術協力といっても企業は嫌だと言っている、どうする総理…。

今、北朝鮮は人口2500万人位、南朝は4500万人位、北が統一しても資源も、技術もない、あるのはキムチ位、ましてあのすれっからしの国民をどのように従わせるのか、一見華やかに見えるものは舞台の描き割りと同じで奥行きがない、北の大将もこれは何事業になることでしょう。ロシアなら韓国民をすべてシベリアに移住させ開発という手もありますが、北が今まで動かなかったのはその辺だと思います。半端な民主主義を振り回し野犬を野放しなにしたような韓国民をと思えばそのようにも思えます。また、世界で孤立している、邪魔者として送還されればもっとやっいなことになります。さて、どうなるのでしょう。北はイラン、サウジに核を売るでしょう、この両国が持つと中東は火薬庫になります。今、日本は北の動きを静観しているようにも見えますが、対策はできていると思います。問題はそれによって難民が日本を目指してきたときの対策です。在日に対しての対策です。まず、在日を先導している反日日本人をどうにかしなくてはなりません。北が宣戦布告をしてきたとしても銃器、火器装備が全然違いますから1日あれば片が付くと思われます。が、最大の問題は在日の挑起に対しての備えです。内戦状態になることも考えなくてはなりません。ジハードの様なテロが出来る民族ではないことが救いですが、予備役を増員して訓練をし、いざというときには国民も自衛に立ち上がる必要があるでしょう。これらのことは日本国民が他国をあてにすることなく行われなくてならないことです。まずは国民がということになります。政府はいち早く軍事衛星を打ち上げ中凶、北、韓国の動きを把握すること、在日特権を終わらせそれに抵抗するものは強制的に送還するという強い立場を作らなくてはなりません。そこで在日がどのように動くかを見ることです。問題は北の核です、迎撃ミサイルを、イージス艦を増やして配備し阻止しなくてはなりません。中凶は機雷により海上封鎖という手が使えますが、北は何をやるのかが読めないのであらゆる手段を想定して備えておく必要があります。はっきり言ってもう戦争状態に入っていることを国民は認識しなくてはならないと思います。

マッカーサーはなぜ人道的援助のためという名目で学校給食を行ったのか、確かに子供たちは飢えていた、社会党の下部組織「母と女教師の会」がマッカーサーに陳情してそれが行われたと組織の人から聞いた。これは緒端でしかなかった、アメリカの政策は日本を食による植民地化であった、この申し出を喜んだに違いない。戦後の子供たちのことは「あの瞳の輝きとわに」の中に書いているが、そこまで考えてはいなかった。昼、机の上に置かれたコッペパンと脱脂乳を喜々として食べていた子供たち。食の欧米化である。その小麦は日本人の味覚に沿って改良され日本人の胃袋を満たしている。これもまんまとしてやられている。今も、食料自給率は40パーセント、そのほかはすべて輸入である。この数字はカロリーで計算されているから実態とは少し異なる。また、食べもしないメニューを残すのでより自給率を下げている。サッチャーがイギリスの首相であったときにはその自給は大幅に下がっていた、鉄の女はまず100パーセントの自給率をとあらゆる改革を行い100パーセントに戻している。大東亜が終わり世界の人口は40億人も増加している。過去には2億人が増えるのに100年間だったのにである。石油は我慢できるが食べ物が無くては人間は生きていけない、水もしかりである。アメリカは食を握り、遺伝子組み換えでより大量に供給しようとしている。水もその遺伝子組み換え、野菜の種を握っているモンサット、ロックフェラーに管理されるようになっている。今の日本は救いがたい状況である。農地法、農協による、また、無能な官僚たちの手で毀され続けている。マッカーサーがなぜ農地改革をしたか、そのことも日本人は考えなくてはならない。これは今の農政を予見してのことだと…。


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